野球部は創部138年 明治学院大の前身は、江戸時代、文久年間の1863年に横浜で創立した英語塾「ヘボン塾」。明治時代にベースボールが日本に伝わったころから「校戯」とし、ベースボール部は1885年にでき初代主将は白洲文平(白洲次郎の父)で、日本で最初にキャッチャーミットを使ったといわれる。1951年に東都大学野球連盟に加盟し、64年に首都大学連盟発足とともに加盟。70年春、74年春にリーグ優勝した。ことしは学校創立160周年で、野球部は138年となる。
1863年(文久3年)
横浜外国人居留地にヘボン式のローマ字で知られるJames Curtis HepburnとClara Mary夫妻が英語塾を開く。(現在の明治学院)
1871年(明治11年)
ベースボールが日本に伝来する。(学院では伝来直後からベースボールを「校戯」と称し、横浜の外国人チームと試合を行うなど盛んに活動していた。)
1885年(明治18年)
東京築地の地でTheodore Monroe MacNair教授を中心にWilliam Imbrie教授やGeorge William Knox教授の指導のもと明治学院の前身である東京一致英和学校(バラ大学)にベースボール部が創部。初代主将の白洲 文平先輩(白洲 次郎の父)は当代随一のキャッチング技術を誇り「白洲のスマートキャッチ」と知られ、また日本で最初にキャッチャーミットを使用した人物だとも言われている。
1887年(明治20年)
学院が荏原郡白金に移転し、チームも「白金クラブ」としてさらに成長。京浜地区では最強チームとしての地位を築き上げるとともに、幾多の対校試合で勝利を収める。またこの頃に日本学生野球チームで初めてユニフォームを作る。
1890年(明治23年)
インブリー事件
1946年(昭和21年)
専門学校リーグ戦に参加(明治学院の他に青山学院、芝浦工業大、高千穂商科大など。)
1949年(昭和24年)
学制改正により新制大学に昇格
1951年(昭和26年)
東都大学野球連盟に加盟